9月27日、東京都のコンクールを聞いてきました。
この日は、合唱祭のプログラムの製本作業日で、
事務局担当の私は率先して働かなくてはいけなかったのですが
どうしても聞きたかったので、みなさんごめんなさいね。
他のお仕事でがんばります。
この日、一番聴きたかったのは、我がマエストロ率いる
Combinir di corista ( コンビニ )
この日、私が聴いた中で一番よかったのは、このコンビニ。
決して身びいきではないですよ。だって金賞で全国大会を射止めたんだから。
今年で3回目の出場で、初出場以来ずっと金賞なのだけれど
今回がいちばんよかった。
課題曲は、寺山修司・寺嶋陸也の「全身」
自由曲は、ミシュキニスのモテット
声に不思議な迫力があった。よく鳴る。気迫というのか、ひたむきというか、
一途に思いつめている人のような、強い求心力とある種の陰影のようなもの。
歌っている言葉と内容が、声と一緒にぐぐっと入ってくる。
いつのまにか、こころのまわりが触手のようなもので取り囲まれていて、
あ、やられたなと思ったときには涙があふれていた。
青き衣をまとったナウシカが、オウムの金色の触手で包まれているような感じ。
会場の文京シビックは残響が気持ちいいので、最後の音を
どうだ!とばかりバーンと鳴らしてくるところが多いのだけれど
うわっと膨らんできて存在感はすごく感じるのに節度あるところで収める
みたいなコントロール(したのかな)に、息が詰まってしまった。
コンクールで競う難度の高さって、難解な動きや複雑な響きばかりではないだろう。
テキストも音も含めて、音楽の味わいや情感を伝えるのも高度なテクニックだ。
今やっている「見渡せば」を、簡単な二部合唱でなく、瑞々しく美しい歌として
仕上げることのほうが、もしかしたら難しいかもしれない。
こういう練習を、きっとすみずみまでとことんやっているのだと思う。
ぎゅ~っと密度のある混声のハモリ、いっぱい鳴っている倍音。
出だしや切り際の、息のコントロール。
こういう演奏がしたい・・こころが震えた。
愚痴なんていってないで練習しなきゃ、
よくとける、じゃまにならない、響きのある声にならなくちゃ。
おそるおそるこの前の練習の録音を聞いた。
ハートはあると思う。
やらなくちゃならないこともたくさんだ。
すごい歌いたい気分。
音のない状態を聞けるのも、耳がちゃんとしていないとだめなのだ。
耳鳴りがしていたり、閉塞感や圧迫感があったりすると
しんとした静寂は訪れない。
いけないことや恥ずかしいこともいっぱいしてきているのに、
耳を元に戻してもらえた。
ほんとによかった。
あれもこれも、やりたいのにできないとか、ぐちがでるのは中途半端なんだよね。
真剣だと知恵がでる。
いい加減だと言い訳ばかり。
今日もらった火種を、あせりでなく、静かな情熱の炎に移しかえたい。